ジョセフ・アルトマン:

大人の脳でもニューロンが生まれていることを発見した研究者

 

石龍徳

  ミクロスコピア 26(3): 26-28 (2008)より許可を得て転載 

 

1960年代初め、ジョセフ・アルトマンJoseph Altmanは、大人の脳でもニューロンが生まれていることを発見した。しかし、この脳科学の常識を覆す大発見はやがて忘れ去られ、1990年代後半になってから、ようやく世界で広く認められるようになった。現在この現象は最もホットな話題として世界中で研究されているが、アルトマン自身については意外と知られていない。はたして彼はどのような研究者なのか?

 

 ジョセフ・アルトマンJoseph Altman(図1)は、現在でも研究と本の執筆で多忙な日々を送っている。実は、少し前に、日本神経科学学会のシンポジウムの講演を依頼するE-メールを彼に送ったのだが、「今は本の執筆に集中したいので、学会への参加を自粛している」との丁寧な返事を頂いた。随分昔に東京で開かれた学会に来たことがあり、その時は、京都、奈良で数週間を過ごしたとも述べられてあった。

図1 ジョセフ・アルトマン

 

動物行動を理解するために研究を始める

 アルトマンは、まだ10代だった1940年代前半に、心理学的な問題を、神経科学的な基盤のもとに研究することを決意した。この時彼はハンガリーにいたが、第二次世界大戦中の暗い時代に、収容所に入れられたため、勉学を中断しなければならなくなった。その後、収容所から抜け出られたものの、戦後はハンガリーの政治体制に耐えられなくなり、西ドイツを経てオーストリア(訂正:オーストラリア)に移った。この逆境の中、アルトマンは大学で講義を聴いたり、図書館員として働いたりしながら、人の行動を理解するために必要な様々な事柄を独学した。(この時に書かれた原稿を元に、1966年に本を出版している, 図2)。1955年には米国に渡り、コロンビア大学医学部のマルコム・カーペンターのところで、視覚の神経回路の構造について研究した。その後、光刺激によって活性化される脳の部分を、放射性同位元素で標識されたアミノ酸を使って調べる研究を行った。このように彼は最初からニューロンの新生と関係のある研究をしていた訳ではなかった。しかし、視覚の研究で身につけた研究技術が最終的には大発見に繋がって行く。 

図2 若きアルトマンが苦学して勉強した結果をまとめた本(1966年出版)

オートラジオグラフィー法

 アルトマンは、ニューヨーク大学医学部、マサチューセッツ工科大学(MIT)と研究場所を変えながら、オートラジオグラフィー法を身につけた。この新しい技術を使うと、放射性アミノ酸を取り込んだ神経細胞が顕微鏡下で黒く見えるので、光刺激によってどの細胞が活動したのかがはっきりと分かる。そこでつぎの実験では、ヒヨコの片目を除去して左右の脳のうち片方の脳が光に反応しないようにしてみた。すると、予想に反して、光に反応しない側で、多数のグリア細胞が黒く染色されていた。どうもグリア細胞が増殖しているように思えたので、こんどは放射性チミジンを使うことにした。チミジンは、DNAの構成要素で、遺伝子が複製される時(細胞が分裂する時)に、細胞核内に取り込まれるので、放射性チミジンを使えば、分裂細胞を正確に検出できる。この実験結果は、前の実験結果を支持するものだったが、この他に、まったく予想されない光景が顕微鏡下に現れた。破壊した部位とはまったく関係のない部位で、少数のニューロンが黒く染色されていたのだ1)。今から考えると、この1962年に発表された実験結果は、あまりはっきりしたものではなかったが、彼はこの現象に着目し進むべき研究の方向性を変えた。

 

大人の脳でもニューロンが生まれている!

 大人の脳でもニューロンが新生しているのだろうか。これは、当時の常識からは考えられないことだった。この突飛な現象を確かめるために、脳を傷つけていない正常なラットとネコを使って同じような実験してみた。すると新しく生まれたニューロンは、脳の中でも、記憶や学習に大切な部位である海馬で多数見つかった(嗅球でも同じ現象を発見している)2)。この時期、活動の拠点はマサチューセッツ工科大学からプルドゥー大学に移っていった。そして成体海馬のニューロン新生を示す決定的な研究が1965年に発表された。その研究結果は、海馬では、顆粒細胞と呼ばれるニューロンが、生後8ヶ月令になっても(ラットの寿命は2年くらい)生まれていることを明確に示していた(図3)3)。1970年代には、シャーリー・ベイヤーがラボに加わった(彼女は今でもアルトマンの共同研究者である)。彼女は、X線を使って分裂細胞を殺す実験を行った(適度な強さのX線は分裂する細胞だけを殺傷する)。すると、海馬で生まれる顆粒細胞の数が正常の動物の15%に激減した4)。つまり、海馬の顆粒細胞のほとんどは、生後に生まれるのだ。

図3 生後の海馬で新しく生まれたニューロン(黒く見える)。J Comp Neurol 124巻321ページ図1Cより許可を得て転載(改変)。

つぎに、X線によって顆粒細胞が減少したラットを使って行動実験をしてみた。なぜなら、アルトマンの若い頃からの夢は、行動の神経科学的基盤を理解することであったからだ。X線を照射したラットに様々な記憶・学習実験をしてみると、興味深いことに海馬全体を破壊したときと同じような記憶障害が見られた5)。この先駆的な研究結果は、海馬が関連する学習・記憶には、新しく生まれたニューロンが、重要な働きをしていることを示している。

 これらのアルトマンが行った研究は、1990年代になってから、新しい技術によって確認されていったが、その骨子になる事実はほとんどこの時代に彼が証明している。彼は、1962年から1982年にかけて、ざっと見ただけでも、32本の論文(そのうち22本が筆頭著者、著名な科学雑誌Natureが3本、Scienceが2本)と6冊の著書(分担執筆)を精力的に出版している。

 

その後

 このような輝かしい研究成果にもかかわらず、アルトマンの業績は無視された、と一般には信じられている。しかし、話はどうもそう単純ではないようだ。1960年代には、彼の研究は多くの著名な研究者に注目され、様々な場所で多くの講演をしたらしい。しかし、1970年代に入ると、風向きは次第に変わってきた。このことは、1970-80年代に、著名な研究者によって執筆・編集された発生神経科学や神経科学の教科書を見るとよく分かる。そこにはどの本にも、「大人の脳ではニューロンは生まれない」と述べられている。この時期には、研究費を得ることが難しくなり、投稿した論文が掲載拒否されることが重なった。これらの出来事のはっきりした原因は分からなかったが、パスコ・ラキッチが、大人のサルではニューロンは新生しないと断定する論文を1985年に発表した(後にこの結果は誤りであることが判明する)ことが、状況を悪化させる原因になったことは明らかだった6)。結局のところ、彼の学説は1990年代後半になって、新生ニューロンの全体像を新しい方法で検出できるようになってから、ようやく認められるようになった(幸運なことに、著者の研究がこの新時代の火蓋を切ることになった。文献7を参照)。その発見から実に約30年待たなければならなかった7)。

 アルトマンは様々な困難な状況の中、研究を妨げる外部の環境と闘うよりも、実験室に籠もって研究に没頭することの方を選んだ。戦争中の困難な時代を生きてきた彼にとっては、学界の政治的な困難は絶望を感じさせるほどのものではなかった。1980年代以降、彼は研究テーマをラットやヒトの胎生期の脳の発生に変え、新たな希望を生み出した。また、研究費の獲得や雑誌への論文発表が次第に困難になったため、発表の場を著書へと移していった。この時に出版された本(9冊)はいずれも脳の発生図譜を含む分厚い出版物で、現在多くの研究者に参照されている8) 9)。これらの本を眺めていると、脳の発生が神秘に満ちたすばらしいドラマであることがひしひしと感じられるが、それに対する彼の考察がまた魅力的だ。

 アルトマンが孤立しながらも発表し続けてきた一連の論文や著書は、学問的な価値に加えて、現在の科学者が失いがちな研究姿勢を示してくれる貴重な資料であると思う。

 

参考文献

1) Altman J: Are new neurons formed in the brains of adult mammals? Science 135:1127-1128 (1962)

2) Altman J: Autoradiographic investigation of cell proliferation in the brains of rats and cats. Anat Rec 145:573-591 (1963)

3) Altman J, Das GD: Autoradiographic and histological evidence of postnatal hippocampal neurogenesis in rats. J Comp Neurol 124:319-335. (1965)

4) Bayer S, Altman J: Radiation-induced interference with postnatal hippocampal cytogenesis in rats and its long-term effects on the acquisition of neurons and glia. J Comp Neurol 163:1-19 (1975)

5) Gazzara RA, Altman J: Early postnatal x-irradiation of the hippocampus and discrimination learning in adult rats. J Comp Physiol Psychol 95:484-495 (1981)

6) Rakic P: Limits of neurogenesis in primates. Science 227:1054-1056. (1985)

7) 石龍徳: 神経細胞の新生の現場をおさえる. ミクロスコピア25: 107-113 (2008)

8) Altman J, Bayer SA. Atlas of prenatal rat brain development. Boca Raton: CRC Press (1995).

9) Bayer SA, Altman J. Atlas of Human Central Nervous system development. Boca Raton: CRC Press (2007).

 

(追記:この文章は、Altman J (2011) The Discovery of Adult Mammalian Neurogenesis,  In "Neurogenesis in the Adult Brain I" eds, Seki T, Sawamoto k, Parent JM, Alvarez-Buylla A, Springerを参考にしました)